直葬・火葬式について

1980年頃のバブル期、数千万円を掛けたお葬式も珍しいことではありませんでした。今ではほとんど消滅した「社葬」なる大掛かりな葬儀風景が、5人10人の僧侶の読経の賑々しい声とともにテレビに映し出されたりもしていました。一体どれだけの人が故人を偲び、別れを悲しんでいたことでしょうか。戒名が数千万円、祭壇に数千万円、お布施が一人の僧侶に100万円、でもお香典でトントン、今では考えられないお金が棺の上を飛び交っていたことになります。さぞや、葬儀社もお坊さんも儲かっていたのでしょう。
で、バブルも終焉を迎えた1990年頃から坂道を転げ落ちていく日本経済の後を追いかけるように、お葬式も費用をかけない簡素化の道を辿り始めます。2014年の今、この日本で流行るお葬式は「直葬」「火葬式」そして「家族葬」。簡素化したお葬式が何も悪いというわけではありません。それどころか、むしろ本来の形になっているのではないか、というのが私の考えです。お葬式には決まった形はありません。無いということは、仏教にはそもそもお葬式という儀式が考えられていないことを意味しています。例えば、東大寺、法隆寺、清水寺など日本の名だたるお寺の僧侶がお亡くなりになった場合、当人がお務めしていたお寺でお葬式が行われるかといえば「否」、別のお寺で葬儀は行われるということです。そもそもこうした有名なお寺には檀家は存在しません。檀家がないということは、そこのお寺ではお葬式も法要も行われていないことを意味します。この事実はお葬式という儀式が仏教とは何も関係がないことを物語っています。
結論を言えば、「直葬」「火葬式」という形態にこそお葬式の本質的な様式があるという思いさえ、私にはしています。近年増加している簡素化の流れは、「家」という封建的な環境の中で作り上げられた冠婚葬祭の儀式が変化している途上にあると考えています。逆に言えば、「家」制度の崩壊が目に見えてきたということでしょうか。

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